
日本発の数字パズルを
世界のエンターテイメントに
2022.02.10 THU
中学生の顷に出会った数字パズルに魅せられ、京都大学时代に2万桁にも及ぶ虫食い算を编み出し、パズル作家?编集者の道を歩み始めた安福さん。幼少期の原体験から、编集长时代に起こった数独ブームの里事情、パズルの世界を真挚に游びつくしたからこそ実感しているパズルの魅力まで、広くお话しいただきました。
1967年広岛県生まれ大阪府育ち。1986年に京都大学に入学し理学部にて学ぶ。1990年に株式会社ニコリに入社し、パズル関係の出版物や、数独をはじめとするパズルの制作にたずさわる。1999年から2018年まで雑誌『パズル通信ニコリ』编集长を务める。その后、副社长を経て、2021年8月1日に创业者である鍜治真起の退任にともない社长に就任する。
ニコリの编集长时代に、
数独が大ブームを引き起こす
ニコリに就职して9年目の1999年に、社の代表雑誌『パズル通信ニコリ』の编集长を务めることとなりました。そこからの约20年间は、雑誌编集长として昼夜逆転することも多い忙しい日々でした。雑誌に载せるパズルをつくったり、読者から送られてきたパズルを解いて面白ければ掲载したり、仕事は地味でしたが、私个人としてはとても楽しかったです。ニコリは若手パズル作家の登竜门でもあったので、后进を育てることにも贡献したと思います。ニコリでデビューしたパズル作家のうちの数人は、今でもニコリで働いています。そんな充実しつつも代わり映えしない日々を过ごすなかで、大きな変化が起こりました。それが2005年に起こった数独ブームです。
数独は数字パズルの一种で、アメリカのパズル雑誌に掲载されていた「ナンバープレイス」というパズルがもとになっています。あまりメジャーとは言えなかったこのパズルをニコリの创业者である鍜治真起さんが见つけ出し、「数独」という日本语名をつけて绍介しました。そこからパズル爱好家の间で徐々に人気が広がり、私が编集长になったころには、数独専门の雑誌や単行本を多数出版するまでになりました。海外にも数独のファンが増えていき、なかには自力で数独の奥贰叠サイトを运営する人まで现れました。それがウェイン?グールドさんという方です。彼はニコリにも相谈して、数独をプログラミング生成することに挑戦。2004年に自作の数独をイギリスの新闻『タイムズ』に売り込んだのです。
そこから世界でも人気に火がつき、数独は「蝉耻诲辞办耻」という名でイギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリア、インド、香港に広まりブームを巻き起こしました。またそれを知った日本の新闻社やネットサイトが记事に取り上げ逆输入のような形で日本でも数独ブームが発生しました。ニコリにも世界中から、问い合わせや取材依頼が飞び込んできました。ブームは数年间続き、鍜治さんが世界中を飞び回るなか、私は里方の仕事に忙杀されていました。残念なのは、「蝉耻诲辞办耻」という名前があっという间に世界に広がり普通名词として定着してしまったため、日本では取得していた「数独」の商标を海外で取り损ねたことでしょうか。ビジネス的には非常にもったいないことをしました。でも、だからこそ「蝉耻诲辞办耻」が世界に広がり、日本でも数独といえばニコリという认识が定着したのではないかと考えています。
世界中で発売された「蝉耻诲辞办耻」関连の书籍や雑誌。
被灾地で暮らす高齢者の声から
数字パズルの可能性に気づく
大ブームとなった数独ですが、とはいえやはりパズル爱好家の中での流行にすぎず、谁もが身近に楽しむ娯楽にまでは至らなかったと感じています。またニコリのビジネスも、依然としてパズル爱好家に向けたものにとどまっていました。しかし2010年代后半からその风向きが少しずつ変わってきました。
きっかけとなったのは、东日本大震灾で津波の被害を受けた岩手県大槌町で、数独が新たなブームを起こしたことです。背景には高齢者の自立支援活动を行っていた狈笔翱法人が、脳トレのひとつとして数独を教え始めたことがあります。诱われて私自身も仮设住宅を巡ったのですが、そこで闻いたのが、初心者向けの数独すらパズルに縁のない高齢者には难しすぎる、という声でした。そこで、2017年に高齢者も楽しめる数独の入门书をニコリで発行したところ、大槌町にて「数独认定试験」が开催されることとなり、6歳から99歳までの幅広い年齢层の方が参加する盛况となりました。
この体験から私は、パズルは高齢者や子どもの教育にも役立つ可能性があり、テレビや映画のような谁もが楽しむエンターテインメントになりうると考えるようになりました。また今后はそこに取り组むことが、ニコリに课せられた社会的役割のひとつだと考えています。このように思うようになったのは、私が鍜治さんから社长を引き継ぎ、パズル作家やパズル雑誌编集者としてではなく、経営者としてどうあるべきかを强く意识するようになったからです。数独の作り方を教えてほしいという声も多いので、そうした部分もビジネスにつながるかもしれません。鍜治さんはつねづね「ニコリのパズルを世界中に広めたい」と言っていました。作家の育成も含め、数字パズルを本当の意味で世界中の老若男女に亲しまれるコンテンツへと成长させることが、社长を引き継いだ私の使命だと考えています。
安福さん(左)と、创业者でもある前社长、鍜治さん(右)。
数独も京都大学も、
间口が広いから“面白い”を生み出せる
ニコリではさまざまなパズルをつくっていますが、そのなかでも数独は抜きん出た存在だと感じています。というのも、パズルというのは基本的に「こういう考え方で进めていかないとゴールできない」というものがほとんどなのですが、数独は基本のルールに则っていれば、自由にアプローチができる。その间口の広さが、数独の魅力だと思っています。
京都大学も独特の存在だと思います。在学中は、本当に自由にいろんなことができました。虫食い算もそうですが、やりたいことを中途半端に止めることなく、とことん突き詰めて成し遂げられたことが、今の私につながっています。最近では大学の研究予算が厳しいなどの话も闻きますが、京大には社会の风潮に负けず、间口を広く変わり者を受け入れ、自由に好きなことをさせてくれる环境をずっと保っていただきたい。学问でもなんでも突き詰められるものは突き詰めて、面白いことを成し遂げる人がずっと出続ける大学であってほしいと期待しています。
安福 良直さんが学んだ京都大学では、創立125周年を機に国際競争力強化、研究力強化、社会連携推進の3事業を展開するための寄付を募っています。ぜひともご支援を賜りますようお願い申し上げます。







