
多様なアプローチで解に至る
数字パズルの面白さに梦中に
2022.02.03 THU
中学生の顷に出会った数字パズルに魅せられ、京都大学时代に2万桁にも及ぶ虫食い算を编み出し、パズル作家?编集者の道を歩み始めた安福さん。幼少期の原体験から、编集长时代に起こった数独ブームの里事情、パズルの世界を真挚に游びつくしたからこそ実感しているパズルの魅力まで、広くお话しいただきました。
1967年広岛県生まれ大阪府育ち。1986年に京都大学に入学し理学部にて学ぶ。1990年に株式会社ニコリに入社し、パズル関係の出版物や、数独をはじめとするパズルの制作にたずさわる。1999年から2018年まで雑誌『パズル通信ニコリ』编集长を务める。その后、副社长を経て、2021年8月1日に创业者である鍜治真起の退任にともない社长に就任する。
时刻表から约数へ
数字の世界に魅せられる
物心がついた顷から数字が好きで、幼稚园时代はよく时刻表を眺めていました。列车が好きなのもありましたが、时刻という数字の罗列を眺めるのが楽しかったんですね。小学生になってからは、算数で最大公约数などについて学んだのをきっかけに约数に兴味を持ちました。数学が好きな人は约数が少ない素数に魅力を感じることが多いのですが、僕の场合は约数が多い数字に魅力を感じるようになりました。例えば「8なら1と2と4と8が约数だ」といった具合に、约数が多い数字ほど「かっこいい!」と喜んでいたんですね。そこから约数がたくさんある数を探すことに梦中になり、叁桁の数字では840が最も约数が多い数字だということを独力で発见したりしていました。
解き方を试行错误する
パズルの面白さにはまりこむ
数字好きがさらに高じるきっかけとなったのが、中学时代に出会ったパズルです。パズルには数字を扱うものが多く、なかでも虫食い算に兴味を持つようになりました。ただ当时は数字パズルの本が少なくて、亲にねだって买ってもらってもすぐに解いてしまうので后がない。ならば自分でつくろうと、高校时代から本格的に虫食い算の制作に取り组むようになりました。年贺状に虫食い算のパズルを载せて、友达に送ったりもしていましたね。
数字パズルの魅力は、解き方を探していくところにあると思います。学校の试験问题だと、解き方が决まっていてそこを间违えなければ正解にたどり着けます。でもパズルだとそうはいかない。解き方から考え、解けないと思ったら立ち止まり、试行错误して违う切り口を见つけながら进まなければいけません。そこに私は面白さを感じ、次第に大きく难解な虫食い算づくりに挑戦していくようになりました。
虫食い算の一例。
全长200尘にもなる
巨大な虫食い算を制作
数学者になりたいという梦があり、进学先は京都大学理学部を选びました。京都大学に入ったら、自分が思うままに勉强や研究に取り组もうと考えていたんです。でもいざ京大に入ると、周りには自分なんか足元にも及ばない素晴らしい才能の持ち主がたくさんいました。情けない话ですが现実を知り、梦はすっかり萎んでしまいました。
一方で膨らみ続けたのがパズルへの情熱です。高校時代から「完全虫食い算」という、全てが空欄で数字が一つもない虫食い算に取り組んでいたのですが、次第に「巨大な完全虫食い算をつくりたい!」という想いに取り憑かれるようになりました。講義の合間や、電車通学の時間を利用して、ひたすら虫食い算の研究に取り組み、学部1年生の頃についに作り方を確立しました。ですがそこから実際の問題をつくるのが大変な作業で、大判の方眼紙を何冊も買い込み、ひたすら計算を続けました。いつ完成するのかゴールが見えないままの作業でしたが、数年をかけてようやく、小数点以下2万桁を超えて答えが決まる完全虫食い算が完成。全长200尘にもなる大作で、いわばこれが、私の大学生活をかけた研究成果となりました。この虫食い算の発表先として選んだのが、その後自分が編集長を務めることになる雑誌『パズル通信ニコリ』でした。
ニコリ先代社长に直谈判
パズル作家への道へ
『パズル通信ニコリ』は、私が中学生だった1980年に创刊されたパズル雑誌です。同誌では読者からのパズル投稿を受け付けており、私も虫食い算に热中する合间にも色々なタイプのパズルをつくって投稿していました。当时はサブカルチャー全盛期で、読者と雑誌编集部の距离が近かったんですね。私も东京までニコリ编集部に游びにいったり、手纸のやりとりをしたり、ニコリが新闻に掲载するパズル制作を手伝ったりしていました。そういう関係があったところに、完成した2万桁超えの虫食い算を送ったわけです。
ただし问题を送っただけでは向こうも困ってしまうでしょうから、つくろうと考えた経纬や制作方法をどう编み出したかをノートに记して一绪に送りました。すると当时の社长であった鍜治真起さんが「面白い!」と兴味を持ってくれたんです。それで『パズル通信ニコリ』の誌面に200尘のボリュームの问题全てを掲载するのは难しかったため、経纬の方を绍介いただだくことになりました。
この顷には私自身も、パズル作家として食べていけるのではないかという自负が芽生えていました。そこでパズル制作会社としても成长しつつあったニコリに就职を打诊。しかし最初は反対されました。喫茶店で锻治さんとコーヒーを饮みながら「やめておけよ」と言われたのを忆えています。当时のニコリは社员が数名しかいない小さな会社でしたので、京大生の就职先としてもったいないと思われたようです。ですが「自分は役に立てるはずだ」という想いがあり、頼み込んで採用していただきました。
(左)2万桁超えの虫食い算の解説が載った『パズル通信ニコリ』。(右) 2万桁超えの虫食い算の開発秘話は書籍にもなった。
安福 良直さんが学んだ京都大学では、創立125周年を機に国際競争力強化、研究力強化、社会連携推進の3事業を展開するための寄付を募っています。ぜひともご支援を賜りますようお願い申し上げます。







